家事をしないという選択肢とそれを受け入れる価値観

家事をしないという選択肢とそれを受け入れる価値観

何年か前に、「収入の低い方が家事をやるのが当たり前」と主張する男性を取り上げた記事が話題になったことがあった。

う〜ん、年収金額=その人の偉さ なのでしょうか。。。

[家事]ってたった漢字二文字だけど、中身を見ると、

冷蔵庫の中身をチェックして、家計と相談しながらなに買うか決めて買い物しに行ってレジの列で何分も並びながら献立決めてご飯作って食器洗って、掃除機かけてテーブル拭いて、洗濯物を洗濯機に入れて、干して、取り込んで、畳んで、家の中のゴミを袋に集めて外に出しに行って□?&○!%$■☆♭*!…(書ききれないので以下自粛)

子どもじゃないのに、どうして誰かにやってもらうのが当たり前なんですか?って問いたい。

私の知り合いで、「スプーンどこにあるの?」ってそのとき家にいなかった奥さんにLINEした人(40代♂)いる。その話聞いたとき、小学生だってヨーグルト食べたければ自分でスプーン探して見つけるわ。。。って思ったの今でも覚えてる。

女性側も、自分がやらなきゃ、って思わなくてもいいと思う。私はやめました。

自分が料理した方が美味しいかもだし、

自分が食器洗った方が台所ビチョビチョにならなくていいかもだし、

しかも全てにおいて自分がやった方が早いかもだし、

でも、自分がその家事をやりたいと思えない時は、体力も気力も消耗してしまう前に、きちんとその気持ちを相手に伝えてソリューションを考える時間を持つべきだと思う。

私はコロナ前までは、料理が好きだった。うーん、というか、好きだと思っていた。

けど、コロナになって昼も夜も作らないといけなくなって、「また料理する時間か…めんどくさい…」と思う日の方が週の50%を超えた。

数ヶ月間は我慢したけど去年6月頃に爆発。

料理を載せたお皿を全力で床に打ち付けたくなる衝動にかられましが、なんとか残っていた理性が制御してくれました。)

その日を境に、食事を用意しなかった方が片付けを全て行うというルールを作り(夫はもともとその点はいつも名乗り出ていたがルールとして決めた。)、

今日は食べに行きたい、とか、今日はデリバリーする、とか遠慮なく言うようにしたら、とりあえずまぁ今日までなんとか(料理が)続いている。

あと、「いつもご飯作ってくれてありがとう」とか「暑い中買い物行ってくれてありがとう」とか家事するごとに言ってくれるのでやってける。それがなければ無理ですね(ダイソー風)。

こういうことを誰でも見れる場所に書いたら良くないかな、って考えたけど、多分同じこと思っているのは私だけではないと思うので書くことに決めました。

そして、フランス人の夫と生活していて学んだことは、何かいやだor改善したい/してほしいと思うことがあったときは、感情的にならずに淡々と話すスキルを身につけないといけないということだ。無感情ぐらいで丁度いい。

「(何かに対して)いやだor改善したい/してほしい」 と思っているときは、少なからずネガティブな気持ちや怒りがあると思うけど、それは一旦横に置いて、仕事でソリューションを考えるときのように話すのだ。

自分の感情はあまり表に見せない、ということが美徳とされている社会で生きてきた人間と、

思うことは、特にネガティブな場合は(遠慮せずに淡々と)批判ではなくひとつの意見として述べる、ということを当たり前のようにしてきた人間と、

どちらの文化が良いか悪いかとかではなく、相手から学べることは学んでしまった方が良い。


会社を辞めて、兼業主夫になって見えたこと。そして妻の新たなスタート。 / Business Insider Japan