ものの収納場所、すぐ言えますか?

ものの収納場所、すぐ言えますか?

だいぶご無沙汰しております。こりんです。

ちょっと最近パツパツでして、ブログを少しおやすみしてしまいました。

今日は、最近あった日常の出来事から一つトピックを選んでます。ズバリ

ものの収納場所、すぐ言えますか?

みなさん、おうち時間が長くなるにつれ、おうち時間を快適にするために色々アイテムを投入するなど工夫されていると思います。

逆に、普段着る洋服が前と少し変わったり、あるいは一部のものに偏っていたり、あるいは趣味の道具でもお久しぶりなアイテムもたくさんあるのではないでしょうか。

あるいはなくし物はどうでしょうか?たまにする?よくする?あるいは全然しない?

私はですね、ほっとんどありません。

小学生くらいまですっごい几帳面な性格で、すっごいきっちりしていないと嫌なタイプだったんです。それが良くも悪くも私の中に根付いてなくし物はほとんどしない性分になりました。

もともとものをたくさん持つよりも、気に入っているアイテムを長く使うタイプ。

小さい頃も、好きな映画のメリーポピンズが好きだったのですが、他のプリンセスものにそんなに興味も示さずメリーポピンズを何回も何回も何回も何回も観てましたw 

で、今日言いたいのは、

なくしものする人は自分の所有しているアイテムが自分の支配できる範囲を超えてしまっているサインだということですー。

私は、あれはここ、これはあの場所、とすぐ出てくることが理想だと思います。

なんの自慢か知りませんが、私はこの2年間くらいで自分が探し物をしていた時のこと、片手で数えられます。(探し物、してるやん。笑) 

それは、なくし物をほとんどしないから。

そしてそれは、置く場所を決めているから。

だって、探し物している時間ってもったいないと思いませんか???そして家族も巻き込んで探させるとかもう(以下自粛)、、、←

断捨離とかミニマリストとか、そこまでしなくて良いと思うんですね。でも収納から溢れてしまっている現実に受け止めたり、あれどここれどこと探す時間に自覚的になってみて、それが増えたなーと思ったら一旦手放す覚悟を決めてみませんか?(覚悟って大袈裟w)

朝の仕事前、あれどここれどこって探す時間を、「今日はちょっとこっちの道から行ってみよー」だったり、道端に咲いている綺麗なお花を眺めてみたり、秋空を眺めて深呼吸してみたり、あるいは、コーヒー1杯入れるあるいは買う時間に変えられたり。

今、ガンディーの経済思想について「身の丈の経済論 ガンディー思想とその系譜」という本を読んでいるのですが、ガンディーも、繁栄とは「物質的拡大」ではなく「所有物を意識的に減らしていくこと」とひとつ説いています。

たった1回きりの人生なので、探し物の時間でなくなってしまうのは勿体無いと思う今日この頃でした。みなさんはどうですか?

1件のコメント

  1. ピンバック: 頭はひとつ:くしの断捨離|わらため

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