昨日の投稿で、地毛が茶色い生徒対して先生がかける言葉は「あなたはそのままでいいんだよ。」って声をかけてあげることなのではないでしょうか、と最後の方に綴りました。
私の言葉の意図をもう少し拡大して説明したいのと、何をもとにその考えになったのかを説明したいと思います。
「あなたはそのままでいいんだよ。」の声かけを求める心の意図とは
学校及び先生たちは、子どもを守る存在であって欲しい、という思いがこもってます。
地毛の色って、自分で変えられないですよね?肌の色、目の色、脚の長さ、腰の太さ、関節の出っ張り具合などなど、他の全ての身体的な特ちょうと同じように、生まれつきもったもの。それを、茶色い髪の毛は黒く染めなさい。(でも黒い髪の毛を茶色く染めるのはダメ。)と言うのは、大人の都合の気がするんです。
そもそも、この校則の意図って、髪の毛が茶色いことがダメなのではなく、染めることがよろしくない、なのでは?と思います。そのメッセージを深く考えずに、染めることがよろしくない=茶色い髪の毛がだめとしてしまうと、それは少し言葉が強く感じるかもしれないけれど、人格否定されてるようなものなのです。(言われたことある人しかなかなか共感しづらいかもですが。)
人権て、子どもにもあります。長老たる人から生まれたばかりの赤ちゃんにまで、誰にでもあるもの。税金納めていようがいまいが、働いていようがいまいが関係なく、みんなにあるものなのです。(子どもには人権がないと考える先生が昔いたという恐ろしい話はこちらから。Yahoo 「人権無視生む憲法より校則」のままで良いのだろうか?)
先生は生徒に対してディクテイター的な立場であってはよろしくないと思うのです。
子どもたちも、おかしいな、変だな、って思ったら声あげていいんだよって伝えたい。
2006年に定められた新教育基本法で、「国を愛する態度を養う」とともに「規律を重んずる」教育(第六条)を定めているようなのですが、まずは先生たちが規律を重んじて人権を尊重する言動をしていただきたいと思う今日この頃です。
こちらも参考にお読みください。こども基本条例、ブラック校則、インクルーシブ教育。子どもの人権重視が問われる東京都議会の今後4年間